25年
体験した事などは、過去に毎年書いて来たので、まずは下記の昨年の記事をお読み下さい。
この時のやり取りで心に残っている事を書きます。
概要としては、阪神大震災が起きた後、所属していた甲南のブラスバンドで、避難所で演奏して暖かい食事を提供しようぜ!となった事。
その時、僕の父が製麺業やってたもんで、うどんの炊き出しをする事になったんですよ。
顧問の石川先生が、父に「うどん代出すので」と、何食分だったか忘れましたがそう仰ったんです。
父は「いやいや、自分も何かしないとあかんなって思ってたんで良いですよ」
と。
このやり取りが心に残ってるんです。
実際どうしたのか、覚えてないんですが。
ボランティアやチャリティーという言葉を目にすると、このやり取りを思い出します。
語弊が生じるとアレがアレなので、今度のソロライブの際に深い内容もお話するつもりです。
子供心に、ボランティアってそういう事なんだな
と、思えた体験でした。
25年。
改めて犠牲者の方のご冥福をお祈り致します。
写真は東日本大震災が起きた2011年夏。岩手県九戸郡野田村で撮った写真。大地の力強さを感じた風景。
2020年1月17日 辰巳浩之
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